朝6時の東京は別の国だった
ラジオ体操の音楽が聞こえてきたのは、午前6時32分だった。
公園の横を通りかかった時、あの独特のピアノのメロディーが聞こえて、思わず立ち止まった。見ると、70代くらいの男性が6人、真剣な顔で体を動かしている。腕を大きく回して、膝を曲げて、首を左右に倒す。全員が同じ動きを、同じタイミングで、同じ真剣さでやっている。その横で犬が1匹、芝生の上で寝ていた。犬にはラジオ体操は関係ない。
東京の朝は午前6時から始まっている。いや、もっと正確に言えば、午前5時台から始まっている場所もある。でも僕が初めてそれに気づいたのは、この朝だった。いつもは8時に起きて、8時半に家を出る。その時間帯の東京はすでに完成した状態で動いている。でもこの日、たまたま早く目が覚めて外に出てみたら、東京にはもうひとつの時間帯があった。
6時45分のコンビニ
公園を過ぎて、近所のコンビニに入った。朝6時台のコンビニの棚は、昼間とは違う。おにぎりの列がきれいに揃っている。サンドイッチが満タンに並んでいる。納品直後の状態を見るのは初めてで、コンビニにも「朝」があるのだと気づいた。レジの店員さんは夜勤明けの顔をしていた。疲れているけれど、「いらっしゃいませ」はきちんと言う。その職業意識に、朝6時台に感心している自分がいた。
缶コーヒーを買って外に出た。空はもう明るいが、太陽はまだビルの影に隠れている。コンビニの前のベンチに座って、コーヒーを飲みながら通りを見ていた。ジョギングしている人。犬を散歩させている人。スーツ姿で早歩きしている人。全員が違う目的で、同じ時間に、同じ通りを歩いている。
7時15分の駅
最寄り駅に着いたのは7時15分だった。いつもの8時15分より1時間早い。ホームの人数が違う。8時台のあの圧縮された人の壁がない。電車が来て、普通に乗れた。座席に座れた。これだけで、朝の気分が全然違う。
車内を見渡すと、7時台の乗客と8時台の乗客は、服装も表情も違う。7時台の人たちは、どこか落ち着いている。余裕がある。まだ朝が始まったばかりだという安心感が、姿勢に出ている。8時台の人たちは、もう朝に追われている。この1時間の差が、こんなにも空気を変えるのかと思った。
電車の中で気づいたことがある。日本の通勤電車は、満員でも基本的に静かだ。話し声はほとんどない。スマホを見ているか、寝ているか、窓の外を見ているか。この静けさは、「迷惑をかけない」というルールの結果だと思っていた。でも朝7時台の、比較的空いている車内でも同じ静けさが保たれているのを見て、これはルールではなく、習慣なのだと気づいた。
朝の自動販売機
会社の最寄り駅で降りて、オフィスまで歩く。途中に自動販売機が3台ある。朝はホットの缶コーヒーが一番売れるらしく、BOSSの黒いやつがいつも残り少ない。自動販売機の前で立ち止まって、ボタンを押す。カシャン、と缶が落ちてくる音。この音を、毎朝何万人の日本人が聞いているのだろう。
オフィスに着いたのは7時40分。誰もいない。いつもは8時半に着くから、同僚の顔しか知らないこのフロアに、自分一人でいるのは不思議な感覚だった。窓から外を見ると、まだ通勤の波が来ていない街が見えた。ビルの影が長い。通勤路の桜はもう散っていたけれど、葉桜の緑が朝日に透けてきれいだった。
この1時間が教えてくれたもの
結局、早起きして得たものは何だったのか。座れる電車、空いたコンビニ、ラジオ体操の風景。どれも劇的なことではない。でもこの1時間の差が、1日の入り口を変えた。朝に追われるのではなく、朝の中を歩く感覚。それは1時間早く起きなければ、永遠に知らないままだった。
翌日、僕はまた8時に起きた。早起きは続かなかった。でもあの朝のことは覚えている。東京には、自分が知らない朝がある。毎日同じ街に住んでいても、時間をずらすだけで、まったく別の場所に立てる。