引越し挨拶で手土産を間違えた話から始まった、ご近所付き合い
引越し当日、僕は隣の部屋にタオルを持っていった。
実家の母親に「引越したら隣にタオルを持っていきなさい」と言われたのを思い出して、近所のドラッグストアで今治タオルを2枚買って、のしを付けてもらった。完璧だと思っていた。
隣のドアをノックしたら、60代くらいの女性が出てきた。「引越してきました、よろしくお願いします」と言ってタオルを差し出した。女性はタオルを受け取って、一瞬だけ眉を上げた。「あら、最近はお菓子が多いわよ」。それだけ言って、にこっと笑って、ドアを閉めた。
部屋に戻って検索した。「引越し 挨拶 手土産」。出てきた記事には「最近はタオルよりも菓子折りやラップなどの消耗品が主流です」と書いてあった。母親の情報は20年前のものだった。
回覧板という制度
引越して1週間後、ドアの前に回覧板が置かれていた。A4サイズのクリアファイルに、町内会のお知らせと、ゴミ収集カレンダーと、防災訓練の案内が挟まれていた。裏表紙に「確認済」のハンコを押す欄があって、住所と名前がずらっと並んでいる。
何をすればいいのかわからなくて、また隣のドアをノックした。タオルの女性——後で名前を知ったが、渡辺さんという——が教えてくれた。「読んだらハンコを押して、次の人のドアの前に置くの。順番はここに書いてあるでしょう」。なるほど。アナログな情報共有システムだ。Slackのない世界のSlack。
回覧板を通じて、知らないうちにこのアパートの住人構成を学んでいった。103号室の佐藤さんはハンコが丸い。201号室の鈴木さんは字がきれい。回覧板が一周するのに約4日かかる。この4日間で、町内会のお知らせは全員に届く。遅い。でもその遅さが、なんとなく心地よかった。
ゴミ出しの作法
東京のゴミ出しは複雑だ。可燃ゴミは火曜と金曜。不燃ゴミは第2・第4水曜。資源ゴミは木曜。段ボールは第1・第3月曜。ペットボトルは——もう覚えきれない。冷蔵庫にカレンダーを貼ったが、最初の1ヶ月は間違えてばかりだった。
ある朝、ゴミ収集所に不燃ゴミを出したら、渡辺さんが窓から「今日は可燃よ」と教えてくれた。恥ずかしかった。でもその恥ずかしさが、ゴミの分別を覚える最強のモチベーションになった。人間は恥をかくと学習する。
町内会の総会
春になって、町内会の総会に出た。出たと言うより、渡辺さんに「出たほうがいいわよ」と言われて、断れなかった。近くの公民館に行くと、30人くらいの住民が集まっていた。平均年齢は、控えめに言って65歳以上だった。僕は間違いなく最年少だった。
議題は、夏祭りの予算と、防犯カメラの設置と、猫の餌やり問題だった。猫の餌やり問題は、想像以上に白熱した。「猫は地域の一員だ」派と「糞尿被害が深刻だ」派が10分間言い合って、最終的に「餌やりは決められた場所でのみ」という結論になった。民主主義のライブ版を見た気がした。
帰り道、渡辺さんが「若い人が来てくれると嬉しいのよ」と言った。お世辞かもしれない。でもその言葉は、自分がこの街に少しだけ受け入れられた合図のように聞こえた。
おすそ分け
引越しから半年が過ぎた秋の夕方、ドアの前に紙袋が置かれていた。中には、煮物のタッパーと、手書きのメモ。「作りすぎたので。渡辺」。里芋と鶏肉の煮物だった。温めて食べた。味が濃くて、ご飯が進んだ。タッパーを洗って返す時、中にお菓子を入れた。今度はちゃんと菓子折りにした。
それから月に1回くらいのペースで、おすそ分けが来るようになった。こちらもたまに返す。会話は最小限。「これ、よかったら」「ありがとうございます」。それだけ。名前は知っているが、家族構成は知らない。趣味も知らない。でもお互いの食の好みは、なんとなくわかってきた。渡辺さんは甘いものが好きで、漬物は自分で漬けている。
夏祭りの日、渡辺さんと並んで盆踊りを見た。「あなたが来た時、タオルだったでしょう」と笑われた。半年経ってもまだ覚えている。これがご近所付き合いの本質だと思った。忘れない程度に覚えていて、近すぎない距離を保つ。面倒なこともある。ゴミ出しの監視は正直きつい。でも煮物のタッパーが玄関に置かれている夕方は、東京にいても一人じゃないと思える。
面倒と安心は、田舎でも都会でも、いつも表裏一体だ。