コンビニに週12回通って気づいたこと
数えてみたら、先週コンビニに12回行っていた。
スマホの電子マネーの履歴を見て、自分でも驚いた。月曜から日曜まで、平均1.7回。多い日は3回。行かなかった日はゼロ。つまり毎日最低1回は、あの自動ドアをくぐっている。
いつからこうなったのか。渡日した直後は、スーパーで買い物をしていた。野菜を選んで、肉を選んで、レジに並んで、袋に詰めて。それが普通だと思っていた。でも気づいたら、冷蔵庫の中身がコンビニの商品で埋まるようになっていた。
朝のコンビニ
朝7時のコンビニには、朝の顔がある。おにぎりとサンドイッチの棚が満タンで、パンコーナーには新しいクリームパンが並んでいる。レジ前のコーヒーマシンに列ができている。100円でホットコーヒーが飲めるこのマシンは、日本のコンビニの中でも特に優れた発明だと思う。ボタンを押して、カップを置いて、待つ。15秒。その15秒間、前の人の背中を見ながら、今日のスケジュールを頭の中で組み立てている。
朝の時間は効率が求められる。だからコンビニは朝に強い。何が欲しいか決めてから入って、迷わず棚に向かって、レジで電子マネーをかざして、出る。この一連の動作に2分もかからない。スーパーでは絶対にできない速度だ。
昼のコンビニ
昼12時のコンビニは、戦場に近い。弁当の棚の前に人が集まって、唐揚げ弁当に手を伸ばす人と、幕の内弁当で迷っている人がすれ違う。僕はたいてい冷やし中華(夏)かきつねうどん(冬)を選ぶ。レンジで温める時間、1分30秒。その間にサラダとお茶を取ってきて、レジに戻る。このルーティンが完成するまでに3週間かかった。
昼のコンビニで面白いのは、弁当の残り方だ。12時15分にはもう唐揚げ弁当が消えている。12時半にはサンドイッチが半分になる。13時には、誰にも選ばれなかった弁当だけが残っている。この自然淘汰のような過程を、毎日レジの横から観察している。
夜のコンビニ
夜11時のコンビニは、昼間とはまったく違う空気が流れている。蛍光灯の光が外に漏れて、暗い道の中でそこだけが明るい。店内には2、3人しかいない。棚は少しスカスカで、補充を待っている状態。この「完璧じゃないコンビニ」が、深夜の妙な安心感を作っている。
深夜のコンビニで買うものは、必要なものではない。アイスクリーム、チョコレート、雑誌。明日でもいいものを、今夜買うために来ている。それは「買い物」というよりも「散歩の目的地」に近い。暗い夜道を歩いて、光のある場所に入って、何かひとつ手に取って、また暗い道を帰る。この循環が、東京の夜の一部になっている。
顔を覚えられた日
通い続けて3ヶ月目のある朝、レジの店員さんが「おはようございます」の前に少し笑った。名前も知らないし、会話をしたこともない。でもあの一瞬の笑顔は、「あ、いつもの人だ」という認識の合図だった。
その日から、僕もレジで少しだけ意識するようになった。お釣りを受け取る時に「ありがとうございます」と言うようになった。前からそう言っていたはずだが、無意識の「ありがとう」と意識した「ありがとう」は、多分声のトーンが違う。
この距離感が、日本らしいと思った。名前を知らない。プライベートな話は一切しない。でもお互いに存在を認識している。毎日顔を合わせるけれど、それ以上は踏み込まない。ご近所付き合いのさらに手前にある、最小単位の人間関係。コンビニはその舞台を、24時間、年中無休で提供している。
季節限定の棚
日本のコンビニには季節がある。2月にはいちごフェアが始まり、4月には桜味のスイーツが並ぶ。夏は冷やし系が充実して、秋は芋・栗・かぼちゃに席巻される。冬はおでんと肉まんの蒸気が入り口に立ち込める。この季節感は、百貨店よりもコンビニのほうが正確だ。
先週、秋限定のモンブランプリンを買った。食べながら思った。来年もこのプリンはあるだろうか。コンビニの季節限定商品は、桜のようなものだ。来年同じものがあるとは限らない。だから見つけた時に買う。この「今しかない」という感覚を、コンビニは意図的に作り出している。
週12回のコンビニ通い。便利だから行くのか、習慣だから行くのか、もう区別がつかない。ただ、24時間灯りがついている場所があるというのは、思っている以上に安心感を与えてくれる。その安心感を支えているのは、深夜にレジに立っている誰かだ。その人の名前を、僕はまだ知らない。