零下8度の露天風呂で、目を開けたら雪だった
温泉のマナーを知らなかった頃の話をする。
初めて日本の公衆浴場に入ったのは、渡日して2ヶ月目の冬だった。近所の銭湯に行った。脱衣所で服を脱いで、タオルを持って浴室に入った。そして——そのまま湯船に入った。かけ湯をせずに。
湯船にいた60代くらいの男性が、僕を見た。最初は怪訝な顔で、次に明確な不快感を浮かべて、最後に口を開いた。「兄ちゃん、かけ湯してから入りな」。声は低かったが、怒っていることは明白だった。
何のことかわからなかった。「かけ湯」という言葉を知らなかった。隣にいた別の客が、洗い場のシャワーを指さして「先にここで体を洗うんだよ」と教えてくれた。湯船から出て、体を洗い直した。その間、最初の男性はずっとこちらを見ていた。恥ずかしかった。穴があったら入りたいというのは、こういう時に使う表現だと学んだ。
温泉のルール
あの恥ずかしい経験の後、温泉のマナーを徹底的に調べた。かけ湯をする。タオルを湯船に入れない。髪が長い場合はまとめる。洗い場で立ったままシャワーを使わない。大声で話さない。脱衣所に戻る前に体を拭く。
ルールが多い。でも、ひとつひとつに理由がある。かけ湯は衛生のため。タオルを入れないのも衛生。洗い場で立たないのは、シャワーの水が隣に飛ぶから。すべては「他の人が不快にならないように」というひとつの原則から派生している。日本の公共空間のルールは、だいたいこの原則に帰着する。
銀山温泉の夜
温泉のマナーを覚えてから3年後の冬、新幹線で山形に向かった。目的地は銀山温泉。大正時代の木造旅館が川沿いに並ぶ、あの写真でよく見る場所だ。
着いたのは夕方4時だった。すでに暗くなり始めていて、旅館の窓から暖かい光が漏れている。気温は零下3度。鼻の中の水分が凍る感覚がある。呼吸するたびに白い息が出て、それがすぐに消える。
宿にチェックインして、荷物を置いて、すぐに露天風呂に向かった。脱衣所で服を脱ぐ。この瞬間が一番つらい。零下の空気が裸の肌に触れて、全身が縮む。急いで外に出て、かけ湯をして(ちゃんとした)、湯船に入った。
熱い。最初の1分は、体が温度に適応しようとして、肌がピリピリする。でもそのうち慣れて、熱さが心地よさに変わる。肩まで浸かって、目を閉じた。
雪
目を開けたら、雪が降っていた。
いつの間にか降り始めていた。湯気の向こうに、白い粒が落ちてくるのが見える。雪は湯船の手前で消える。湯の熱で溶けるからだ。でも自分の顔には落ちてくる。まつ毛の上に雪が積もって、溶ける。その冷たさと、首から下の温かさの境界線が、体の表面にくっきりとある。
こういう瞬間を、どう言葉にすればいいのかわからない。頭が熱い湯と冷たい空気の間にあって、体が液体に包まれていて、目の前に雪が落ちてくる。静かだ。風の音と、湯が流れる音だけ。
30分ほど浸かっていた。本当は20分くらいで上がるべきだが、出たくなかった。この湯船の外は零下8度の世界で、中は42度の世界だ。この50度の温度差を、体は知っている。だから出たくない。
泉質の違い
日本の温泉には泉質というものがある。銀山温泉は含食塩硫化水素泉で、肌がすべすべになる。草津は酸性で、ピリッとする。箱根はアルカリ性で、ぬるっとする。同じ「温泉」でも、入った瞬間の肌触りがまったく違う。
これは水の個性だ。地下で何百年もかけて岩を通り抜けてきた水が、それぞれの土地の成分を溶かし込んで、地上に出てくる。だから同じ湯は二つとない。日本に3,000以上の温泉地があるのは、それだけ多様な地質があるということだ。
漆器職人が「急いで作ったものはわかる」と言ったが、温泉にも同じことが言える。何百年もかけて作られた湯は、人工の温泉とは深みが違う。体がそれを感じ取る。言語化できないが、「本物だ」という感覚が、肌を通じて伝わってくる。
湯治という文化
昔の日本人は「湯治」といって、何日も温泉に滞在して体を治していた。1週間、2週間、長い人は1ヶ月。朝に入って、昼に入って、夕に入る。それを毎日繰り返す。現代の感覚では、そんなに入って肌が大丈夫なのかと思うが、泉質を選べば毎日入っても問題ないらしい。
湯治は体を治すだけでなく、頭も治す。何もしない時間を過ごすことで、思考が整理される。温泉は考えごとに最適な場所だ。裸だから、スマホを持ち込めない。音がないから、思考が邪魔されない。温かいから、体がリラックスして、思考の壁が低くなる。
銀山温泉で雪を見ながら、あの3年前の銭湯での恥ずかしい出来事を思い出していた。かけ湯を知らなかった自分。おじさんに怒られた自分。今では笑える。あの恥ずかしさがなかったら、温泉のマナーをこんなに真剣に学ばなかっただろうし、銀山温泉まで来なかっただろう。
失敗は記憶に残る。そして記憶に残った失敗は、いつか懐かしさに変わる。湯船に浸かりながら、そんなことを考えていた。雪はまだ降っている。まつ毛の上で、溶けている。