79歳の漆器職人は、弟子を取らないと決めていた
工房に入った瞬間、匂いがした。甘くて、少しツンとする。漆の匂いだと、後で知った。
石川県の山間部にある工房を訪ねたのは、取材でも研究でもなく、偶然だった。里山を歩いている途中に看板を見つけて、「見学可」と書いてあったから入っただけだ。観光地化された体験工房ではない。現役の職人が仕事をしている、本物の工房だった。
中に入ると、一人の男性が座っていた。作業台に向かって、筆を動かしている。入ってきた僕に一瞬だけ目を向けて、すぐに手元に戻った。「どうぞ」とだけ言った。見ていいという意味だと解釈して、少し離れた場所に立った。
手元
職人の手は、思ったよりも小さかった。79歳だと後で教えてもらったが、指の動きは若い人のそれと変わらない。むしろ、より正確だった。漆を含んだ筆が、椀の表面を滑っていく。一本の線を引くのに、息を止めているのが見えた。線が終わると、小さく息を吐く。その繰り返し。
塗っている椀は朱色だった。でも一口に朱色と言っても、下地の漆を何層にも重ねた上に最後の色を乗せているから、深みが違う。蛍光灯の光の下で見ると、角度によって色が変わる。これは塗料では出せない色だ。何十層もの漆の積み重ねが、光を内側から反射させている。
20分ほど、何も言わずに見ていた。職人も何も言わなかった。工房の中には、筆が椀に触れるかすかな音と、時計の秒針の音しかなかった。窓の外では鳥が鳴いていた。
短い会話
作業が一区切りついたらしく、職人が筆を置いた。振り返って「お茶、飲むか」と言った。断る理由がなかった。
作業台の隅にある急須でお茶を入れてくれた。湯呑みは自分で塗ったものだと言った。手に取ると、漆特有のしっとりとした手触りがした。プラスチックとも陶器とも違う、有機的な温度。「何年前に作ったんですか」と聞いたら、「20年くらい前かな」と言った。20年使っている湯呑みは、角がわずかに丸くなっていて、使い込まれた木の風格があった。
「後継者はいるんですか」と聞いた。失礼だったかもしれないが、聞かずにはいられなかった。職人は少し黙ってから、「弟子は取らないと決めている」と言った。
理由を聞くと、「この仕事は好きじゃないとできない。好きな人間は自分で来る」と言った。弟子を育てるのではなく、好きな人間が自然に集まるのを待つ。それは受動的に聞こえるかもしれないが、79年間この仕事を続けている人の言葉には、別の重みがあった。
漆の時間
漆器を仕上げるには時間がかかると教えてくれた。木地を作って、下地を塗って、乾かして、研いで、また塗って。一つの椀を完成させるのに、速くても3ヶ月。手の込んだものは1年以上かかる。
「急いで作ったものは、すぐにわかる」と職人は言った。漆は嘘をつかないのだそうだ。塗りが甘い部分は、使っているうちに必ず剥がれる。手を抜いた層は、10年後に表面に出てくる。だから一層一層、手を抜けない。
この話を聞きながら、自分の仕事のことを考えた。僕の仕事はデジタルで、作ったものは3ヶ月で更新される。1年前のものはもう古い。10年後に残るものを作ったことがない。「10年後に剥がれる」という心配をしたことがない。
工房を出て
1時間ほどいて、工房を出た。「ありがとうございました」と言ったら、職人は軽く頷いた。握手もしなかったし、名刺の交換もなかった。茶道の時もそうだったが、日本の伝統的な場では、別れ際が淡白だ。
帰り道、山道を歩きながら考えた。あの職人は「好きだからやっている」と言った。それ以上の理由はないし、それ以上の理由が必要ない。「伝統を守る」という大きな物語ではなく、「好きだから毎日やっている」という個人的な事実。その静かさに、言葉にしにくい強さがあった。
「好きだからやっている」。単純な文だ。でも79歳がそれを言う時、その言葉には半世紀以上の朝が含まれている。毎朝工房に入って、漆の匂いを吸って、筆を持つ。その繰り返しを50年以上続けた人の「好き」は、僕の「好き」とは重さが違う。
帰りのバスの中で、スマホを見た。メールが12件、Slackの通知が8件。どれも「至急」とか「確認お願いします」とか書いてある。あの工房には「至急」がなかった。漆は急がせても早く乾かない。筆は急がせても正確に動かない。時間を味方にする仕事と、時間に追われる仕事。どちらが正しいという話ではない。ただ、両方を知ったほうが、自分の時間の使い方を選べるようになる気がした。